日中技能者交流センターは、設立から3年後の1989年に「中国国家外国専家局」との間で日本語教師の派遣に関する協議書を結びました。爾来1800名にのぼる日本語教師を中国全土の大学等教育機関に派遣してきました。
日本語教師派遣事業は、日本語を教えるというテクニカルな面だけではなしに、教師と学生との人的交流を通じて異なる文化や価値観にも触れ合う中でお互いを理解し合う多様な機会を提供してきました。国際協力という面から見れば、一人の教師のもとに何百人、何千人もの学生が学ぶわけですから、内容的にも規模的にも非常に大きな広がりと幅を持った活動といえます。この事業には様々な側面がありますが、一例をあげれば、2012年、かつてないほどの大規模な反日運動が中国全土に吹き荒れた時、教え子たちがとった行動は非常に感銘深いものでした。彼らは、キャンパスの中で日本語教師を守っていてくれたのです。この事実は、国と国との関係を超えて、教師と教え子の間に築かれた個人レベルの信頼関係と相手を思いやる心の大切さを語るものです。これを敷衍すれば、国際交流や国際協力と呼ばれる活動には、人と人との信頼関係がその根っ子にあるべきです。
こうした想いを持ち続ける中で、今年の3月になって、中国へ派遣された日本語教師の「西尾12期の会」(2000年)と「西尾13期の会」(2001年)が相前後して集いを持ったことを聞きました。派遣後、20年以上経った今もなお同期の会が続いているのは、教師一人一人の中に中国で教壇に立った日々がかけがえのない経験として輝き続けているからではないか。もっと言えば、そうした教師たちの輝きの集積がセンターの事業を総体として意義あるものとしているのではないか、と考えました。それは、2012年の経験のいわゆる根っ子に重なり合う部分です。
様々な想いを抱き続ける中で、また、20年以上続いている同期会の情報を奇貨として、中国へ派遣された日本語教師の記録をアーカイブスとしてセンターの公式記録に残すことにしました。おそらく、このタイミングを外したらこの企画は成り立たなかったのではないかと思います。
企画に当たっては、「13期の会」メンバーの協力をいただき、6名の元教師の方々から2000字程度のコンパクトな記録としてご寄稿いただきました。短い文章ではありますが、それぞれの中で、教師たちの姿が生き生きと表現されています。見ず知らずの土地で直面する生活上の困難からはじまって、クラス運営上の創意工夫、教室の中でまた教室の外での学生たちとの交流、そしてそこに描き出された教師と学生たちの生き生きとした姿、とりわけお手製の料理に舌鼓を打ち、弾む心。みんなの笑顔が浮かんでくるようです。わずか6編からなるアーカイブスではありますが、ここには中国へ派遣した1800名の教師たちに共通した体験が語られているのではないでしょうか。誰もが、「そうそう、そうなんだよね」と思い当たることでしょう。
とりわけ印象深かったのは、4名の方が日中戦争に触れていらっしゃいました。中国に派遣された年は終戦から、56年。時が経っても戦争が残した傷跡の大きさを思わずにはいられません。教師たちが厳しい環境の中で、それでもボランティア精神に支えられて教壇に立った背景に歴史の影を見る思いです。
派遣教師の現地での活動と合わせて、愛知県西尾市にあった西尾研修所での派遣前研修について当時の担当者に文章を寄せてもらいました。
手前みそではありますが、小品ではあるものの、意味のあるアーカイブスになったと思います。このアーカイブスを通じて日中技能者交流センターの日本語教師派遣事業についてみなさんに少しでもお伝えできれば幸いです。
なお、「西尾12期の会」と「西尾13期の会」の集いについては、「HRsDアジア財団ニュース」第182号に「中国派遣日本語教師事業のもう1つの側面」として記事を掲載しています。
2023年11月吉日
(公財)日中技能者交流センター
副理事長 新井 力
●派遣前研修会の記録
●日本語教師の記録
※(赴任勤務歴は派遣先学校の年度(9月始業から8月終業)に合わせて記載)
※ 学校名は派遣当時の名称で記載しています