日本語教師の記録 No.001

平和友好日本語教師

小倉 充盛
【赴任勤務歴】2001年度から2002年度 青島濱海学院 青島市
       2005年度 青海大学 青海省(個人派遣)
       2006年から2007年度 青海大学 青海省
 
         ※赴任勤務歴は派遣先学校の年度(9月始業から8月終業)に合わせて記載
         ※学校名は派遣当時の名称で記載


 2001年早春、西尾の研修所で2週間の研修を受ける。早起きし近くの陸上競技場までのジョギング、声をそろえたラジオ体操、午前午後びっしりの授業、夜は次の日の教育実習の演習、等々明るい未来を切り開き、羽ばたく13期生だった。私たち、長先生、板垣先生、私小倉は妻同伴で、同じ班になり、成田を発った。上海の空港から中国入国。復旦大学での大学生活、研修に観光旅行等、数日を過ごした。派遣先の濱海学院から担当の先生が迎えに来、寝台列車で中国縦断の旅に出発。二つのコンパート・メントに男子3人、隣には、それぞれの奥方3人と学院の女士。初の出会いから、車中泊を経て、学院の宿舎に入ったときは、6人兄弟のようになっていた。

 着任後すぐ授業開始。一クラス40人5クラス。2年生。日語会話 週20時間。学生たちは、一人っ子政策の奔りで、可愛がられ大事にされて育った、姫殿であった。一人の学生は言った。「私の家族は… 私・パパ・ママ・ママの両親とパパの両親の7人家族です」と。教室の前の方に席を取る学生達は、授業中一回は当たるよう手を振って要求もした。授業が終わると、「今日の夜、私たちは、先生の家に行きます」「何時がいいですか」と。多くの学生が自分に自信を持ち、向学心に溢れる学生達だった。
 2003年春節、サーズ流行の中、一時帰国。今回のコロナ宜しく移動禁止、学園封鎖、航空機運休などで、復帰出来なかった。8月になり、卒業式への参加要請があった。卒業式の日、壇上から、「大家好!祝卒業・・・」と、祝いの言葉を述べ、大喝采を得たが、彼らの卒業と同時に私も卒業と相成った。
 彼らとは、北京オリンピックが決まった時、「080808」の約束をしていた。北京オリンピックが開催されるであろう2008年8月8日8時8分、母校濱海学院正門前で会う。この約束は守られ、学生と日語科の先生たちで、20数人の同窓会が開催出来た。

 2回目の派遣は2005年3月春節明けだった。妻が習っていた中国語の老師の兄君の大学で、日語科を開設した。担当教師を探しているので、夫婦2人で来てくれないかとの誘いがあった。即承諾。センターと相談して、青海大学に赴任することになった。
 3月20日までに来いとのこと。大学の事務に問い合わせの電話をするが、春節の休暇中で応答がない。センターを頼り、渡航準備を整えてもらった。就労査証、航空券、等々。しかも、丁度「日本語教師・北京経験交流会」と日が重なっており、ご招待をいただき、着任前に、日語教師の諸先生から激励の言葉をもらい勇んで着任できた。2005年3月21日北京空港国内線83番ゲートまで、古川常務、星さん、濱海学院卒業生親子が見送りに来てくださった。心温まる出発だった。2時間ぐらいのフライト、岩砂漠の滑走路だけの西寧空港に到着。徒歩でロビーへ。台車で運ばれてきた荷物を直接受け取り、出口へ向かうと、大きな声で、「OGURA 老師!」と、呼びかけられ大学からの車に乗り込んだ。青海大学人となった。
 青海大学は、嘗ての日本宜しく、街中に散在した専門学校を郊外の広いキャンパスに統合し国立を冠した学部、研究所等々を建設している真最中であった。日語科は新築の基礎部館の5,6階にあった。レストラン、ホテル、ホールがある迎賓館がメインに座っていた。そこで、夕食会が開かれ、学長直々日語科に紹介、青海大学日語教授として、招聘したと聞かされ、身に余る光栄と、重責を感じた。
 日語科は開設2年目、03年生(2003年に入学した学生)は21人、04年生(2004年入学した学生)は40人。全員中国語を話しているように、私には聞こえたが、漢族はもちろん、西蔵族、蒙古族、回族、ウイグル族等それぞれの母語を持った学生たちであることを知った。回族の学生は、大ホールの学生食堂では食事をしない。清真食堂のみである。清真食堂は回族料理を供する回族の食堂である。誰でも出入りは自由とのこと。青海大学は少数民族の共存共栄を目指す大学であるとも紹介された。
 翌日、学長に案内されて、03年生の教室へ、大きな拍手で迎えられ、彼らの作ったプログラムによって、初日の授業は終わった。21人の学生、男子学生は3人。民族は漢族、西蔵族、回族、土族、蒙古族、ほかにもいくつかあった。彼ら03年生の後期の授業の担当、会話や作文を週6時間受け持った。新設日語科03年生の、2学年終了記念公演として『夏の夜の夢』の上演となった。昼夜を舎かずの練習に小道具、衣装・・・作りに盛り上がった。教室いっぱいの観客から大喝采をもらった。
 2005年9月からは、妻・芳子がスタッフに加わり、中国人教師2人日本人2人の体制で、03年生には「実用日本語」観光ガイド・ブック作り、それを元にガイド実習を実施した。名称、所在位置、地図、交通手段、写真、等々を、学生2人組で取り組み、西寧観光案内パンフレットが十数カ所出来上がった。この授業は04年生に「ガイド日本語」として、中国人老師が引継ぎ、学期末には青海湖観光バスツアーを実施した。西寧は日本からの観光ブームのピークにあった。特に西寧起点とした、西蔵鉄道の運行は人気を呼んでいた。
 最後には、卒業論文の指導も割り当てられた。はじめから、テーマを持って日語科に入ってきた学生はいなかった。強いて言えば、どこか日本企業に就職できたらいいなと言うていどだ。そこで就職試験等で取り上げられる自己アピール文をテーマにした。ごく身近な事柄の考察から、自分の未来を展望し論じるようにすすめた。全員読み応えのある「卒論」を期日内に提出した。

A学生:「姉の結婚式の報告。民族の伝統に従った盛大な数日にわたる結婚式の様子を述べ、自分の番になったら、姉のようにするだろうか。きっと自己主張が出ると予測する。」

B学生:「うちには、僕の馬、もちろん父母の、兄妹のもいます。よほど遠いところは別だけど、目で見える範囲は馬を走らせ、歌で話をしています。大学は息苦しい。将来これを変えるつもりはないと思う。」 03年生は3年生修了で卒業した。社会人として活躍していると信じている。

* 本科学生として入学した04年生が3年生。本学の日語科としての特色ある講座開設が求められた。
「日本文学史」週10時間6週60時間の特別講座。(資料-1)
「ガイド日本語・実地演習」(前出)
「報道文講読・青海大学日本語科新聞『日本語の声』」(日本語の声 第1号)
「古典日本語」清少納言 枕草子

「卒論」 行事やイベント
「日本文化紹介」海苔巻寿司(…第26号)餃子カレーライス実習(…第9号)
日本祭り 浴衣 和服 (試着) 民謡 踊り(そうらん節)
日本語スピーチコンテスト3学交流及び 校内10回(…第10、11、24号)
 等が提案された。 

 実施に当たっては、教学大綱作成、基礎部の審査批准が必要。講座の立案は楽しい仕事だ。互恵共存、平和友好を旨として、教師、老師の協力、特に学生の積極的参加、援助を得て、作ることが出来た。制作過程は『日本語の声』が詳細に記録に残してくれた。ページを開くと、2007年当時の様子が伝わってくる。 新生青海大学日語科の教育課程を作り、それを確実に習得した最初の卒業生を送り出す任務を持たされていたのだと思われる。

同僚の新名老師と2年生達で年越しの会
2005年青海大学日語科実演 夏の夜の夢
1年生達と餃子づくり
北京経験交流会

 

【資料—1】
日本文学史(60) 3月7日から4月18日まで(2006) 対象3年生 小倉 充盛
ー文学史的に意義のある文学作品を少しずつ読み日本文学の流れを知るー
ーあわせて日本の伝統文化を紹介し、中国との関係も考えるー

週間 月日 曜日 時数 学習内容 時間配分
第一週 3月7日 火3・4 2 ガイダンス
日本文学
日本文化
中国の文化との比較
講義2
3月7日 火5・6 2
4
日本文化(ひなまつり)
「メトロガイド」3 2006 No.81講読
「上巳の節供」について
講義1
演習1
3月8日 水1・2 2
6
太陽暦と太陰暦
中国の節供についてのレポート発表
講義1
演習1張美琳(伝統的祝日)
3月9日 木3・4 2
8
伝統行事
中国の節供についてのレポート発表
講義1
演習1康(中国にもひなまつり)
第二週 3月10日

3月14日
金5・6

火3・4
2
10
2
12
「ひなまつり」朗読

日本の古典に見る3月3日
清少納言の枕草子
現代日本で見る3月3日
演習1

講義2

我が家のビデオ上演
3月14日 金5・6 2
14
日本文化紹介
折り紙など
講義1
実習1
3月15日 水1・2 2
16
青海省西寧の文化・社会情勢
「最先端産業が起こせるか」
5000年前の古代文化(馬家陶器)
講義1

演習1

※3/7〜3/15までを抜粋