最近、中国の新聞やテレビなどのメディアから「京津冀(けいしんき)一体化」という言葉をよく耳にするだろう。「京津冀」とは、それぞれ「京」は北京市、「津」は天津市、そして「冀」は河北省の略称で、中国首都圏における三大行政区のことだ。中国政府はこの数年、国家の中長期発展戦略として「京津冀一体化協同発展計画」を策定した。隣接する三つの地域間の産業・経済・都市化の融合と協調、発展を図るとともに、環境改善や地域間のアンバランス解消などの面において画期的なプランとも言えよう。
北京はご存じのとおり、昔から天子様の御膝元として有名な古都だ。天津は中国北方の重要な貿易港で、商業、軽工業などが盛んだった。河北省は、天津、北京とのつながりが深いものの、歴史的に様々な要素により社会・経済の発展が両者より立ち遅れている。
歳月が過ぎ、世の中が移り変わり、これまで自己中心的に各自のそろばんの玉をはじいてきた「京津冀」だが、今後は、国の発展大戦略の中で改めて位置づけがなされ、相互協力・相互補完を図りながら新首都経済圏を構築しなければならない時代となっている。「京津冀一体化」は当地域の人々、特に河北人にとって素晴らしい朗報だ。地域住民の生活に本格的な実益をもたらすことができるだろうし、交通網の整備、教育・医療資源の共有、観光・文化、環境改善などにより社会経済活動の効率化や地域住民の生活の利便性向上などがますます期待されるだろう。つい昨年のことだが、期待していた「京津冀一体化」からプレゼントを頂いた。これまでは、“中国移動通信(チャイナ・モバイル(中国・世界最大の携帯電話会社))”の地域分社化により、“河北移動”、“天津移動”、“北京移動”は各々の料金体系を維持し、お互いに電話をする場合、長距離通話費や国内ローミング料金も取られていた。ところが、この「京津冀一体化」のおかげで、当地域内での携帯電話は通話料金が一つになったのだ。筆者も利用者の一人としてバンザイを叫びたい。それから、今年から日本の交通機関のカードのような、京津冀交通ICカードの相互利用サービスがいよいよ始まりそうだ。
「京津冀」と言えば、今までの人生で「京津冀」との縁が深かった者として一言綴りたい。僕は子供の頃から自分自身を、“河北省生まれの天津人”と認識しており、天津が特別な存在だった。当時、祖母は天津の某大学の図書館に勤務していた。僕は天津で何回もお正月を過ごしたことがあり、天津で実感した河北省の寒村と大都会天津市との格差は本当に天地の違いだった。天津で人生初の大米飯(ご飯)を食べたことや、親戚からもらった黒い革靴を履いて田舎の学生たちに変な目で見られたり、ひやかされたりした場面は今でも鮮明に覚えている。
不惑の年となり、不思議に思うことは、河北省から北京への転職を機に、今や北京と切っても切れない関係となったことだ。一時的に北京と河北を行き来するような京冀両地人の生活が一年間ほど続いてきた。何よりこれまでに自分の人生に深く関わっている「京津冀」が早く一体化になることを切に望みたい。
(和平里)
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