新緑鮮やかな季節となりました。「新緑鮮やかな季節」という表現が私の一番好きな言葉であり、中国語で表現できないニュアンスを持つ日本語らしい言葉です。
真冬の寒さが過ぎ去り、暖かい春がようやく訪れてきました。大連に生まれ育った私にとって、寒い冬の思い出は少なくありません。まさに<北国の春>の歌った場面が記憶に蘇えるのです。およそ半世紀前の東北地方はまだまだ寒いところだったのです。綿入れの上着とズボンは今になって、ただ懐かしい過去のイメージとしてたまに脳裏に浮かんできます。
地球の温暖化にともなって、北京の冬の寒さもしのぎ易くなりました。雪も少なくなって、大学時代スケート場として使っていた頤和園の湖面の凍っている時間も大分短くなりました。
春節が過ぎ、早くも蝋梅(ろうばい)、連翹(れんぎょう)、そして木蓮、山桃、梨の花が次第に咲き誇り、鮮やかな彩りで春を飾ってくれました。それにしても、桜満開の日本に較べれば、少々味気ないような気がします。
その理由の一つは、北京に居る私達にとって、一番の悩みの種であるスモッグが、春が来たにもかかわらず、しばしば空中を漂っていることです。そのため、去年のAPEC首脳会議の時に、“APEC BLUE”という言葉も世界に知られるようになりました。皮肉な言い方ですが、納得するしかありません。
三十年前に北京へ来た時、春になると黄塵万丈の日々が続いていました。あまりにも黄砂が酷いので、町を歩く女性が皆、白か赤のスカーフで頭を包んでいたので、すぐに男女が見分けられるほどでした。湿気のない乾いた空気に吹かれて、海辺から上京して来た私にとっては、一番の苦痛でした。その後、植林を全国的な春の行事として長年実施したお陰で、黄砂も見る見るうちに減少してきました。3月12日が植林祭へと定着したのは、1979年の2月23日の全人代からでした。
人間は自然と共に宇宙に存在している、生命を持つ生物なのです。自然の恵みを大切にしながら、自分の生存空間を獲得できるのでしょう。これまでの先進国の経験を生かして、早く空気汚染の被害を取り除いて、青空を日常生活への贈り物として次の世代に残してほしいものです。
その時には、是非日本の皆さんに、北京の古都の魅力を改めてアピールさせて頂きたいと思います。
(和平里)
|目次に戻る|