第38回理事会 第25回評議員会を書面決議
コロナに始まり、コロナに終わった1年間を総括
2020年度事業報告と決算報告を承認
2020年度は、年間のうち7か月以上の長期間に渡り、諸外国との交流渡航が停止されるという当財団創立以来の事態となり、当財団の事業も大きな影響を受けました。
こうした事態への対応を総括した2020年度事業報告と決算報告が、第38回理事会並びに第25回評議員会において承認されました。(いまだコロナ禍の影響下にあるため、書面決議の方法をとりました。)
あわせて、新型コロナの世界的流行が収まる気配を見せていない現状に対応するため、受入企業からいただいた運営費の一部を積立てておくことが理事会で確認されました。
2021年度の事業推進についても2020年度の総括を活かし、コロナ禍の推移を注視しつつ実施していくことが承認されました。
評議員・交代者(2019年度~2023年度定時評議員会迄の任期)
【新任】
横田 修 日本通運株式会社
人財戦略部長
【退任】
高原 博 日本通運株式会社
総務・労働部長※
(※印は前または元職)
中国のパートナー組織中国職工対外交流中心とリモート会談を実施
コロナ禍の影響により1年に渡り停滞していた相互交流を、リモート会議システムを活用して再開するための試行として、中国職工対外交流中心の常超副秘書長と当財団の新井副理事長の間で、挨拶と意見交換を目的としたリモート会談が、5月18日(火)に開催されました。
冒頭、常副秘書長から再会の挨拶と中国側の現状が報告され、新井副理事長が挨拶し、日本側の現状報告を行いました。続いて具体的な意見交換に移り、両者は以下の3点について共有し、今後の協議を進めていくことを確認しました。
① 代表団の派遣・招聘をはじめとする対面交流の重要性を確認。
② 日中間をめぐり国際関係がきびしい時期だからこそ「民民交流」の重要性を確認。
③ 交流の実施については、コロナ禍の鎮静化と海外交通の正常化が前提であることを確認。。
東京と北京をネットで結んで
会談する当財団新井副理事長(右側)
母国研修所の技能実習生へ
オンラインで日本語メッセージを発信
「日本語ラウンジ」試行版
新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、いまだに技能実習生の入国停止が続いています。中国で入国準備をしている技能実習生は、本来ならば、当財団が派遣した日本語教師からナマの日本語を学ぶのですが、それもできません。当財団は、こうした技能実習生をサポートするため、国際交流服務中心と連携して、ナマの日本語による激励と情報提供をオンラインで発信する取り組みを始めました。
試行として、4月23日に当財団新井副理事長から待機実習生へ向けた激励と挨拶、技能実習生から寄せられた質問に対する回答を収録しました(通訳は服務中心楊駐日代表)。データは服務中心濰坊研修所へ送られ、5月14日に、写真のとおり実習生たちの前で上映されました。
今後コロナ禍の推移を見すえつつ、数回の試行を重ねて本格的スタートを目指します。
たくさんの実習生と関係者が参加
地方駐在員だより
日本の文化「折り紙」に興味津々
東京駐在 山内 清彦
4月21日の夕方5時。実習生たちに日本の文化に触れて貰うことを目的に、企業で「折り紙講座」が開かれた。
シフト制で24時間、中国やベトナムの実習生が交代で勤務しているが、この日はベトナムからの実習生10名が参加した。参加者は初めての折り紙に興味津々。とはいえ時節柄、講師の方も実習生も「密」の回避を意識しながらのものとなった。折る手順を説明した後、色紙を壁に掲げて皆が見えるように工夫しながら進められた。ツルに次いでパンダに移った時は、更に興味が集まり、和気あいあいの中であっという間に予定の1時間が過ぎ、自分で折ったものをお土産に、笑顔で寮に帰って行った。
新型コロナの影響下ではあるが、実習以外でも日本文化に触れる機会を、可能な限り提供したいと感じた1日であった。
自分たちで作ったツルやパンダと、記念にパチリ。
一ツ橋
伝えることの難しさ
緊急事態が一時緩和されたとき、技能実習事業に携わっている者として興味があった日越共同製作映画「海辺の彼女たち」を見に行った。
あらすじは、来日した技能実習生が仕事場から3か月で逃亡し、ブローカーの手配で雪深い港町にたどり着き、不法就労者としての立場におびえながらも、故郷の家族のために必死に働き始めるが、体調不良で倒れてしまう。夢と希望と現実とのギャップに直面するというドキュメンタリ風な内容である。
観る人は、なんて技能実習生は悲惨なんだろうと感じるだろう。見てもらうためには過酷な面をより強調する必要があるのかもしれない。しかしこの映画がどんな影響を見る人に与えるか心配である。
当財団の会員である実習実施者(受入企業)は決してそのような仕事場ではない。現場の指導員さんは厳しいが、それは早く技術を身に付けて、けがをしないで、日本の生活にも慣れて欲しいとの思いからである。伝えることの難しさと恐さを実感した一日であった。
(S・N)