設立30周年に向け特別委員会設置
民際交流の拡大を目指して
私たち(公財)日中技能者交流センターは、2016年9月に設立30周年を迎えます。この9月号のニュースがみなさんのお手元に届く頃は、その記念日から丁度2年前ということになるでしょうか。私たちは、「センター」の来し方行く末を考える中で、ポスト30周年の「センター」の姿を探る作業を今開始しようとしています。
この間、私たちは、世界が大きく変化する中で、また、日中の2国間関係が紆余曲折をたどる中で、市民レベルの民際交流を事業の軸に、活動を展開してまいりました。
例えば、中国への日本語教師派遣事業は、設立の翌月から開始され、お陰様で今では、延べ500校以上に1700名の教師を送り出すまでになっています。これらの教師に連なる学生は、その数十倍はいるわけです。ですから、私たちは、言語だけではなしに、お互いの歴史や文化、人となりやさらには国民性をも理解し合うことの出来るこの事業を、質的にも量的にも民際交流の優れたモデルと自負しています。
また、技能実習事業は、25年に渡り主に中国から実習生を受け入れてきました。その数は、14000人を超えています。技能実習生は、労働力の面からのみ語られることが多いのですが、実は、最長3年間働きながら日本で生活することによって、受け入れ企業や社会の中で多くの日本人と接することになります。ですから、彼らは民際交流の一方の主役でもあるのです。彼らの多くは、帰国後、日本で学んだ技能と日本語を活かして活躍していますが、私たちは、帰国後も日中民際交流の中国側アクターになってもらいたいと願いながら事業を展開しています。
民際交流の意義と重要性を改めて私たちに教えてくれたのは、一昨年の中国における大規模な反日行動でした。私たちは、現地に赴任している教師の身の安全を心配し、問い合わせを行い、情報収集に努めました。ご案内のように、日本語教師は中国全土に派遣されています。しかし、教師から返ってくる回答は、どれも、私たちの心配が杞憂であったことを知らせるものでした。学生たちは以前にも増して日本人教師に気を配り、老師として変わることなく接してくれましたし、キャンパスの中は完全に平和で穏やかでした。これは、数多くあるエピソードの中でも、ささやかなものでしょうが、草の根レベルの民際交流の真の力強さを語っています。
私たちは、こうした経験を踏まえて、民際交流の強化拡大をキーワードとし、これを大きな枠組みとして、「センター」のポスト30年の姿を展望したいと考えています。また、この枠組みの中に、諸事業を位置付けつつ更なる活性化をはかって行きます。
みなさんがこのニュースをお読みになるころには、30周年を記念する特別委員会が組織内部に設けられ、ポスト30年に向けての課題の整理や、記念事業について討議を開始しているはずです。特別委員会の活動については、随時みなさんにご報告したいと思っています。
私たちは、みなさんのご支援とご協力を得て、(公財)日中技能者交流センターの設立30周年を祝い、その後の一歩を力強く踏み出したいと願っています。
専務理事/事務局長
新井 力
派遣教師からのおたより
日中の若者たちの「交流」を求めて
黒龍江東方学院 亀田 敏之
私が昨年赴任したのは、中国の北、黒龍江省にある東方学院という大学です。すでに延長の申請を済ませ、来期も残ります。今は夏休みですが、帰国を遅らせ中国語を学んでおります。そうした折、センターから原稿の依頼を受けました。
以前センターの報告書の冊子で、『婆さんを 老師と慕う 子らがいて』という俳句を見ました。実はこの「婆さん」を「爺さん」に置きかえれば、今の我々の状況とまったく同じです。今期は5名センター派遣の教師がいて、いずれも定年退職組の、それも男性ばかりでした。学生たちは、(遠慮して口には出しませんが)内心では、「どうして私の大学の日本人の先生は、お爺ちゃんばかりなの?」と思っているかもしれません。
現在、私の大学があるハルビンには、日本語学科をもつ大学が10校ほどあり、「日本人会」や「日本人教師会」等を通じて交流を深めています。昨年9月に初めて参加した「日本人会」は、参加者70名中、日本人は留学生を含め10名程度で、後はすべて日本語を勉強している中国の学生たちでした。ある大学の先生などは、「この会で必ず5人の日本人と友だちになれ!」と叱咤激励されているそうです。それほど、この地は日本人が少なく、「相互学習」のパートナー探しの競争率が高いのです。
逆に言えば、日本人は引く手あまたです。
しかし悲しいかな、私の大学には留学生の交換制度がなく、学内の日本人は我々だけです。他の大学には、日本人留学生は、数こそ少ないですがいます。また他の大学の「日本人教師」は、いずれも若い独身の方が多いです。
そこで「お爺さん教師」は奮起して、「日本人会」で知り合った若い留学生に声をかけて、私の大学の学生との「交流会」を開いてきました。「交流会」と言っても、一緒に食事しておしゃべりするだけですが・・・・。でも学生たちが、ふだんの授業とは違った生き生きとした表情で話しているのを見て、「ああよかった!」と単純に喜んでいます。
この一年間、自分なりにしてきたことは、私の大学の学生に、若い日本人留学生を紹介することです。当地においては、日本の学生たちには、放っておいても学生たちが寄ってきます。でも中国の学生たちは、そうはいきません。競争が激しいのです。いつも頼みこんでお願いしています。でも優しい子が多いですから、よく協力してくれます。また新学期も、中国の学生の熱意と、日本の留学生の優しさに助けられて、こうした「交流の機会」がたくさん生まれれば、と思います。
蛇足ですが、「交流会」のスポンサーは私なので、記念写真のときには毎回一番いい席を用意してもらっています。貯金はできませんが、定年退職の「お爺さん教師」だからこそできる有意義なお金の使い方だと、自分では思っています。
日本の若者と中国の若者との交流会
コラム・一ツ橋
【種を播く】
「!!立派なトウモロコシですねェ」
真夏の太陽がジリジリと照りつける某日、某所の実習生受入れ企業を訪問した時のこと。工場の裏手に、企業の社長さんが用意された小さな畑。その一角には青々と茂るトウモロコシの林(?)が。
「実習生が種を播いて、ここまで育てました。中国のトウモロコシは、もちもちしていて、とても美味しいですよ」とは社長の言。
実習生たちは、将来のため節約に努めながら、自炊の食卓を少しでも豊かにと、企業に提供された土地を耕し、野菜を育てているのだ。
「自分の中にも『将来の夢』という種を播き、3年間しっかり育てて、母国に帰ってから花開かせるため、いま全力を尽くしてほしい」研修所の閉講式、訓示ではそう話す。
種を蒔く。異国の地で芽吹いたちっちゃな種が大きく育ち、国を超え、ひとびとの心を結ぶことを願って。
四国支所からの便り
ちょっと気になるTさんの入院生活
24歳の実習生Tさんにとって、故郷から遠く離れたところで、突然入院と手術が必要な病気にかかった事は不幸なことでしょうが、入院治療の過程で、日本の医療事情や保険体制、病院のサービス、日本の病院での温かい人たちとの交流などを経験したことは、不幸中の幸いと言えるでしょう。
突然の発病でしたが、会社側の迅速な対応で、手術も治療も成功しました。また、日中技能者交流センターから派遣された駐在員が、手術が無事に終わるまでずっと付き添ったこともTさんの不安をやわらげました。次々と会社の上司や同僚、実習生仲間たちは病室へ見舞にかけつけてくれましたし、医師達の献身的な治療と看護師達の手厚い看護や患者同志の気遣い、助け合いなどがTさんの心を温めてくれました。
別の実習生Sさんは日本の進んだ保険体制と医療技術を十分利用して3年の内に自分のかかった病気(半月板損傷)を徹底的に治療して帰国することにしました。勿論目標達成できて喜んで帰国の途についたことは言うまでもありません。
入院療養中のTさん
治療中のSさん